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zoom RSS 「死生観」と「宗教観」

<<   作成日時 : 2009/02/07 23:28   >>

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病気や悩みなどで こらえきれない苦しみを経たことによって
打撃を受けた「死生観」や「宗教観」ほど、
修繕が難しいものはない
ものだと、しみじみ感じます。

いかに、「全くの無宗教」という人でも、
生きていくうえで 自分なりの決め事、ポリシーを
少なからず持っていると思います。
社会の中で自然と融合しながら、他者と協働しながら
生きていくための規範=広義の宗教
であるとするなら、
すべての人が自分なりの宗教を持っているといえると思います。

かたや、大人になってからの人の人格は、
個々のアイデンティティ(主体性、自己同一性)という統一されたものの上に
乗っかっているので、あらゆる判断の基盤となるものが、
このアイデンティティであるといえます。

宗教が、個々のアイデンティティと融合したものが「宗教観」…
と、これは個人的な意見ですが、
「宗教観」と、「いかに生きるか」(=「いかに死ぬか」)は
かなり密接に関係している
ものだと思います。



これが、生きていく中で 何かの拍子に壮絶な苦しみを味わったときに、
例えば、
「社会や自然と協調できない宗教観」
「『生』と向き合わない死生観」というような、
本来ありえない思想のループにはまってしまい 抜けられなくなり、
様々な社会的不適合、反社会的思想・行動、無気力、希死念慮というような
マイナスの影響が出てきてしまうと思うのです。

このマイナスの力は、放っておけばどんどん加速してしまうことがあります。
そうなってくると、どんどん修正が難しくなります。
どのような支援の手を 差し伸ることができるのでしょうか。



何だか抽象的で分かりづらいことを書いてしまいました
とにかく、小さなことで一喜一憂しないようになりたいものだな〜、と。。。
書きたかったことはシンプルに、ただそれだけでした…ヤナヤツですね

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